やまびこ観測所

世の中で起こっていることを観測して記事にしていきます。

「~じゃないですけど」という表現

言葉の使い方や意味は、時代と共に変わっていくもので。
ネットスラングや若者言葉、ミームジャーゴンなどなど、特定のコミュニティで使われて広まって定着したり、広まらなかったりする新しい言葉があるし、昔からの言葉も意味を変えたりする。

こないだ気になったのは「~じゃないですけど」という表現。
これだけじゃ何とも、なのだが。
~っぽいけど、そこまで言うほどではない時。
例えば、災害からの復旧とかの話をしていて、「"被災地支援、ではないですが" 住民の方々の不便を解消するための方針を決定していきたい」など。
内容は正確ではないが、だいたいこんな感じの雰囲気のインタビューをテレビで観た。
……いやいや、それは"被災地支援"ではないですか!?という感想が心に沸き上がった。

テレビ取材だから断定を避ける、というのもあったかもしれないが、なんだか最近、こんな感じでちょっと断りを入れるのが耳につくような気がしている。
「~」の中身は慣用句でもいい。
例えば、「針小棒大、ではないですが、その案件の解決には担当者レベルの対応で十分かと」なんて。

何だろう、「おそれいりますが」とか「よろしければ」といったクッション言葉のような、ふわっとした感を出す言葉なのかなぁ。
もともとは、少し大袈裟だったり、ぴったりはまらなかったりする表現の補足のための使い方だと思う。
それが、「わりとそのもの」な表現をしているときにも広がってきたような。「~みたいな」の代わりに「~じゃないですけど」と、否定から入る。

意味が広がる、ということでは、
・「全く~ない」
全く、をつけたら後ろには否定の表現をつけなさいよ、と国語教師に指導されていた。
書き言葉では気をつけてみるけど、話すときは「ゼンゼン ダイジョーブ」「マッタク 同感ダヨ!」

・「さわり」
触れる、みたいな語感だから、導入程度と思いきや。
「ほんのさわりだけ、確認しとこっか」とか。

広辞苑によると、もともとは義太夫節の用語で、他の音曲の旋律を取り入れた箇所。「他の節に触っている意」から。
それが[曲中で目立つところ]:[最大の聴かせどころ]になることから、話の要点とか印象的な部分を意味するようになった、とのこと。
明鏡国語辞典には、同様の説明と共に誤用についての記載。
「冒頭・出だしの意で使うのは誤り。×さびのところはいいから、触りだけ聴かせて」とある。
張り子の虎のごとくうなずく。この例文はとてもわかりやすい。
でも、紛らわしいので"Touch"的に使うのも仕方ないかな、という感覚もある。

言葉は生き物。
はじめは誤用だとしても、いずれは辞書に新しい用例、として記載されることもある。
間違った言葉の使い方にモヤモヤとまではいかないのだが、むずむず?ドキドキ?を感じる。

でも、私が英語を使うときの表現はきっと、ほぼカタコトみたいな感じなんだろうし。
この先の世界がどうなるかわからないけど、日本語を母語とせずに日本語を話す人がもっと増えれば、言葉のもつ雰囲気とか、許容範囲も広がってくるのかもしれない。


「言葉尻をとらえる」じゃないですが。