やまびこ観測所

世の中で起こっていることを観測して記事にしていきます。

ラグビー観戦を楽しんでいる(4)

ラグビーワールドカップ2019 JAPANが終幕。南アフリカは強かったな……!
先々週末の準々決勝で日本代表の試合が終わり、緊張の糸は切れたが、準決勝も決勝も十分に楽しめた。


自分の心の動きと、気になった言葉の備忘。
・「日本をラグビーで元気にする」というフレーズが信じられるようになってきた。
 試合期間は、胸がつぶされるような光景が次々とニュース番組で映し出される日々でもあった。「もとの生活に戻る見通しはまったくたっていません」という、衝撃的なリポートなど。
 今回の気象災害はもちろん、痛めつけられたり、病んだりしている人々に対して、直接の物資や支援がまずは第一なのだろうが、第一段階の必要が満たされたら、次は「気持ち」を立て直すことが大事なのだろう。対象は違えど、ハードワークや倒れても起き上がる姿、一つの目的のために身を投じる様子で、気持ちが奮い立たせられる。直接自分とは関係ないところにいる人の行動に励まされる、という心の動きというのは真に人間らしいものだと思った。

・「勇気」と「誇り」という言葉が、特に日本代表の周囲によく見られたと思う。”Blave Blossoms”の愛称の通り、痛みを恐れない気持ち、困難にもひるまずに進んでいくというのが「勇敢さ」なのだろう。誇り、というのは「信じること」なのだな。

・「自己犠牲」
時に痛ましい結果になるし、危険さをはらんだ概念なのかなと思ってしまっていたが……
つまりは、「自分の仕事をする」「私がやる」精神がラグビーらしさなのだろう、と理解した。
皆が持ち場を守ること、仲間がいると信じてパスを出すこと、痛みを恐れずにタックルしていくこと……等々。
「他の誰かがやってくれる」と思わないという考え方かな。

・日本対南アフリカ戦、翌朝のニュースで廣瀬俊郎が語ったこと。
「日本人にスポーツの良さ、世界に日本文化の良さを示せた」
オリンピックが平和の祭典だというように、スポーツを通して、人々が感情を共有できることを知った。

・解説フレーズの「〜選手が”痛んでます”」がラグビー独特の表現かと思った。
もしかしたら「傷む」なのかもしれない。「(傷・身体の部位)が痛む」ではなく、主語が「一個人」というのが特徴的。念のため、手元の辞書を引いてみたが、(人)がいたむ、という用例はさすがに記載なし。英語でも同じような言い方があってのことかな?

・「レフェリーの論理」ラグビーの審判がかなり重要かつ独特の役割を担っていることがわかってきた。法曹者的というのか、「行動そのもの」+「意図」できっちり論理的にジャッジしていることが解るシーンが折々にあった(当たり前なのかもしれないが……)。選手ももちろんだが、相当な専門職なのだろうなぁと思った。調べてみると、集英社新書ラグビーをひもとく 反則でも笛を吹かない理由」李淳馹(リー・スンイル)という本にルールの背景などが書いてありそうだった。しかし、レフェリーがどんなトレーニングをしたり、どんな苦労があったりするのか、なんかのテレビで特集してくれないかな〜。NHKのプロフェッショナルみたいに(前に、相撲の行司を取り上げていたように)。


開幕前のリポビタンDカップも含め、地上派で放送された試合は全部チェックしたので、今期の単位は修得できたとして差し支えないと思っている。すべてリアルタイムで観られた訳ではないが、なんだかんだで、土日の夕方〜夜にテレビに張り付いていた1か月余りであった。ソファに座っているだけなのに、試合が終わってから腑抜けになってしまうのが目に見えていた。なので、なるべく風呂を済ませ、食事を準備しておくようにしていたので、無用にダラダラする時間が減って、観戦という意味では時間を使いつつも、家で過ごす時間が有益だった。ラグビーワールドカップは生活にメリハリをつけてくれた!

どうにかして、スタジアムで試合を見に行ってみたいところ。

 

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写真は、大浦天主堂聖母像。祈りの心地。

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