ぐずぐずしている人間に気分なんかわきゃしません
半透明のゲルの中で生きているような感覚に、また囚われてしまいかけている。
自分自身に起こる出来事、自分の考え方、世界の雰囲気。
シャキシャキ行動出来ていた自分への憧憬、活動が鈍っている自分へのふがいなさ……。
などなどで、すっかりこの場から遠ざかっていた。
ふと思い出された言葉がタイトル。
気分がどうのこうのと言って、なんになりますか。
ぐずぐずしている人間に気分なんかわきゃしません。
…………
きょうできないようなら、あすもだめです。
一日だって、むだに過ごしてはいけません
「ファウスト」の中のフレーズらしいが、まだ大もとは読んでいない。
ほんとそれ、という実感。
ほんとうに動けないときは休むしかないのだが、少しでも動けるようならば、「少し」やってみる、のがその先につながる。
そういえば、子供の頃の宿題も、とりあえず問題集を机に置く、ページを開いてみる、といった一つ一つの動作をちょっとやってみることで、エンジンが掛かってくるものだった。
やることを詰め込んで思考を埋めて、余計なことを考えないようにするというのも考え物だけど、頭や予定を空っぽにすると、これまた、ろくな考えにならないし、何も出来なくなってくる(すごくネガティブになる)ことに気付いた。
人間は想像力のある生き物という。
動物によって知能の程度は違うだろうが、時間の感覚があって、予定を立てられたり、過去を振り返れたりするのは人間の特権に近いのだろうと思う。
小さな予定を立てて、それを実行していくこと。
とりあえず、何かやってみること。
その積み重ねで、この半透明のゲルも分解されていくのかなぁと、ぼんやり思っている。
ゲーテ先生の言葉をもう一つ。
半時間ぐらいでは何もできないと考えているより、世の中の一ばんつまらぬことでもする方がまさっている。(「格言と反省」から)