やまびこ観測所

世の中で起こっていることを観測して記事にしていきます。

怒りの本質を考える

最近いらいらすることが多くて困っている。

まっとうな大人なら、感情を態度にあらわしすぎるのはちょっとみっともないな、という思いはあるのだけど、思いと行動が裏腹になってしまいがち。

アンガーマネジメント系の記事がタイムラインに流れてくると、ついつい見てしまうがあまり実践できずに終わってしまうので、自分なりに読み取って考えた内容を書いておくことにする。

 

怒りの本質はつきつめれば恐怖なのだと思う。

たとえば。

・車を運転していて、自転車が急に飛び出してきた*1とき

 「うわ!」(驚き、急ブレーキ)「危ないじゃないか!」(怒り)

 自動車を運転することには責任が伴うし、予測しながら気を配っているので、常に怒りが爆発するわけではない。しかし、心のベースラインが安定していないときにこういうことに遭遇すると、血圧がブワッと上がるのを体感する。

 しかし、これってつきつめれば恐怖でしかない。万一、停止が間に合わずに自転車に接触してしまったら。人をはねてしまったら。免許更新の時に見せられる映像が頭に浮かぶ。

 自分の中に生まれてしまった恐怖に、人は耐えられないのではないかと思う。だから、その原因となった「人」に対する感情に置き換わってしまうのではないだろうか。

 「危ないじゃないか!どこに目をつけてるんだ!」

 ・コミュニティ*2内で遭遇する、ルールや自分の思う常識、「こうあってほしい」想定と異なる行動。

それらも、つきつめれば恐怖なのではないか。道理の通じない相手、自分の意図と反する行動、予測不能の現象。少し大げさになるが、自分が作ってきた枠*3に嵌まらないことに遭遇するということは、自分の世界観に疑念を抱くことになる。自分の世界観に疑いを持つことは、自分の実存、生命を脅かされることに近似できる。

 

何で何で何で。怖い怖い怖い。それが「怒り」なのではないか。

怒りは人の体をこわばらせ、脳が普段通りに作動することを妨げる。

 

では、どうとらえ直すのか。

自分がくまのプーさんにでもなったように振る舞うのが良いような気がしてきた。

・車を運転していて、自転車が急に飛び出してきたとき

→おっとっと、びっくりしちゃったなぁ。

(相手の行動が危ないとか、ジャッジしない)

 

・想定外の行動について。

相手に期待しない、相手をコントロールしようとしない、ということをよく耳にする。

それができれば苦労しないって、というのが感想である。相手をコントロールしようとしない、ということができない自分に更に苛立ってしまい、【反応が反応をさらに促進する怒りの永久機関】になりかけるのが現実である。マンガに書いたら、鼻の先に「憤怒ー!」という文字が入ることだろう。

もう、自分をコントロールするのも大概にしておこう。代わりに、自分は「苛立っている・怒っている」のではなく、「怯えている・不安を抱いている・恐れている」と思っておけばいい。相手を打ち負かしたい、コントロールしたいと思ってしまうのは、自分の身の安全(=平穏な心でいること、想定通りに物事がすすむ状況)を望むからではないだろうか。

「私は怒っているのではなく、不安を覚えているのでこの状況を変えたい」 そう思ってみたら、アサーションの本に書かれているようなしなやかさで、自分の思いを落ち着いて伝えることができるようになるのではないだろうか。

 

怒りの本質は恐怖である。

私も彼らも、怯えたキツネリスでしかない。

恐怖への対処法は何か。恐怖の全貌、恐怖をもたらすものをきちんと見て把握し、「それが怖くないものだ」と認識することだ。

「怒りを覚えたら6秒待ってみる」 それは、自分と対象を冷静にとらえなおすための時間。

*1:

それにしても、自転車って本当にリスクの高い乗り物だと思う。スポーツバイクとかだとかなりのスピードが出るけど、乗っているのは生身の人間。手信号をする人はまれなので、いまいち公道が読めない。よく見ると、曲がるときには体重移動をしたりするので予測がつかないこともないのだが。

先日遭遇した自転車。自分は信号のある交差点の少し前で、左ウィンカーを出して減速しつつ、少し左に寄せて走行していた。交差点に到達する前で信号が青に変わり、前に停止していた車が発進。自分はさらに減速しながら、いよいよ左折しようとするところ。段差のある歩道とのわずかな隙間を、ロードバイクがびゅーんとすり抜けていったのだった。一度追い抜いたので存在はもともと認識していて、「すり抜けるなよ〜」と念じながらサイドミラーを注視していたから何事もなく済んだけれど……。

冒頭では怒りについての話をしていたが、このときはあまりのことに驚きしかなかった。驚きを通り越して、ロードバイクの主に畏怖の念すら覚えていた。だって、前の車が左折しかけているのに直進で突っ込んでくるんですよ……。神風特攻隊かよと。いや、当たり屋だったのか???などと自分の常識ではとらえきれない現象を解釈しようと、脳が混乱していた。いったん停止したら元のスピードに戻すラグがあるのかもしれないけどさー、軽車両の認識を持とうよ。

こんなにつらつら書くなんて、この出来事をそうとう根に持っているのだなと今改めて思った。笑

自分はあまり自転車に乗らないので、ちょっと目線が偏っているかもしれないけれど。何も知らない子供じゃないし、速度の出る乗り物に乗っているのだから交通法規は守って、周りを見てほしいものだと思った。確かに、自転車側に事故の原因があっても、おそらくクルマの運転者が相当の弁償をすることになるのだろうけど、弁償できるのはお金だけなんだからね。。。死んだら生き返らないし、怪我で済んでも後遺症がずっと続くかもしれない。

ということを、遭遇した人には言えなかったのでここに書いておく。怒りの解消法、他人に話すもそうだけど、書いて吐き出すってのはセオリーですね。

*2:職場、家庭、学校、部活等々

*3:人間は効率的に物事を処理するために、判断の枠を持っている。車が左にウィンカーを出せば左に曲がると思う。酸っぱい牛乳を飲んだらおなかを下す可能性が高いので飲まない方が良い。大阪人はだいたい家にたこ焼き器を持っている……等等。枠がまったくなければ、すべての可能性を均等に想定しなければならず不便だが、枠にとらわれすぎれば、低い方の可能性が現実になったときに対応がしづらくなる