やまびこ観測所

世の中で起こっていることを観測して記事にしていきます。

「蜜蜂と遠雷」の感想

音楽とは何なのか、人はなぜ音楽を紡ぐのか

 

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蜜蜂と遠雷」を観てきた。
小説を読んでいて、結構気に入った作品だと感じていたので、テレビの宣伝で映画化を知り「お!」と思った。そのはっとした気持ちを逃さぬよう、休日早朝の回へ。
全年齢向けの映画だろうが、早朝であれば客層も落ち着いているかな、という読み。
早起きの甲斐あって、映画にきっちり没入できた。
その作品を観たかったら、ちょっと待てばDVDで家でゆっくり観られるし、ストーリーならもう本で読んでるし、何なら録画済みの別の映像はまだ溜まってる。なので、映画を見に行くというのは自分にとっては結構な贅沢なのだ。というわけで、上映前は映画の始まるわくわく感を静かに味わいたいし、エンドロールが終わってゆっくり席を立ってシアターを出て行く、その時間まで楽しみたい。

その、自分にとっての贅沢に値する時間を味わえた。劇場で観られて良かった。
役を演じる、というのはつくづく不思議なことだと思う。
特に、原作ありの映画だと、自分が文章を読みながら心に描いていた登場人物と、スクリーンで動く俳優を比較する。あえて直前に小説を読み返したりしなかったせいもあると思うが、映画を観た後に読み直したら、登場人物達は映画の出演者達で描き直されてしまうと思う。それくらい自然な映像だった。コンテスタント達が海辺で遊んでいるところとか、まさにこれだ!という感じ。

映画を観に行った目的は、ほとんど「春と修羅」を聴きたい!というところにあった。
マサル、明石、風間塵、栄伝亜夜のカデンツァ。すべてそれらしいな、と思った。
演出が効いているのもあるが、風間塵のシーンはとても恐ろしく感じたし、その後の栄伝亜夜に救われた。
明石のテーマ「生活者の音楽」というのもちゃんと表現されていたと思う。
ザ・イケメン俳優という括りに勝手に分類してしまっていたが、松坂桃李がちゃんと高島明石だった。
予選を落ちた後にコンテスタントの演奏を聴きに来る場面で、カーディガンにチェックのシャツ、チノパンというカジュアルな装いになっているのも印象的だった。衣装といえば、栄伝亜夜の普段着が丸首のニットで統一?されてたような。ロングスカートに編み上げブーツがかわいい。

例外もあるが、人と人が一対一で向き合い、影響し合う(救い合う)シーンが多かった様に感じた。3人以上のシーンももちろんあるのだが、なんだか2人の世界、という場面が印象的。そもそも映画ってそういうもの?人生ってそういうもの?なのかもしれないが。亜夜目線での風間塵、マサル、明石。マサルにとっての亜夜。明石にとっての亜夜。あれ、栄伝亜夜ばかりになってきた。
こうやって登場人物の関係性を思い返してみると、恩田陸の小説はキャラクター小説っぽいところがあるから、映画化向きな部分もあるのかもしれない。というか、映画は小説のそういうエッセンスをすくい取って、映画らしい部分も付与しているのかも。

私自身は天才とは無縁な人生だけど、過去の栄光(と現在の乖離)、とか、何かから逃げ出した経験、とか、栄伝亜夜のトラウマめいた部分に共感出来る要素を自分の中に感じてしまって、観ていて苦しかったシーンがあった。最後にカタルシスがあって安心、の感。三角形のらせん階段の絵面も印象的。


劇場で観て良かったこと。
・心象風景というのか、雨の描写や走る馬の映像の美しさ
・ピアノコンチェルトのシーン、まるでホールでの演奏を聴いているようだった。
・そして、まるで自分が音楽家になって喝采を浴びているような音響。

その他、印象的だった場面など
・クロークの片桐はいり、反則級の役だと思った。ステージマネージャーの田久保寛(平田満)の掛け合いといい、こういうことで一気に映画の世界に引き込まれるというか……。
・風間塵の、ピアノを弾きすぎて流血した指先に瞬間接着剤を塗り込むシーン。音楽への異様なまでの情熱?
・レクイエムの演奏場面、背景の水に浮かべられた灯籠、灯籠を背にした指揮者 小野寺昌幸(鹿賀丈史)、ホールでの演奏場面に映った後、ホールの照明を似たように背にする。
・関係ないが、「のだめ」の千秋(父)も字は違うが雅之という名だったな……
・「今弾けるピアノ」を探す亜夜に、明石が紹介したピアノ修理職人(眞島秀和)。急に出てきて何だかびっくりしてしまったが、おいしい役…。
・審査委員長 嵯峨三枝子(斉藤由貴)の重鎮感。いるだけで酸いも甘いも噛み分けたベテランピアニスト、の感はさすが。深みのある顔。昔スケバンで鳴らしていたわけでは無いだろうが……小説では他の二人の審査員と合わせて「不良」扱いされている。
・撮影監督はピオトル・ニエミイスキというポーランドの方。あの独特の映像に納得。
・明石の高校の同級生の記者、仁科雅美(ブルゾンちえみ)。事前情報をあまり目に入れないようにして劇場に行ったが、ブルゾンちえみの出演だけは頭に入っていた。まさかギャグシーンではないよな、と思っていたがちゃんと雅美だった。なんかびっくり。
・小説で、亜夜を支える浜崎親娘は出てこない。浜崎奏と栄伝亜夜の関係が箸休めのようになっていたのでちょっと残念だけど、映画には収まりきらなかったかな。
マサルの使っている電子楽譜。電子書籍があるのだから、当然の発想なのだろうけど世の中に存在しているとは知らなかった……。足で譜めくりできるようで、これは便利そう。
・亜夜とマサルの水筒カバー。小説では布のバッグだったけども。二人が幼なじみだったと気付くまでのじわじわ感も省略されてる。
・映画を見に行くときに、お供の飲み物をどうしようかと思い、「蜜蜂と遠雷」なら紅茶だな、と思っていた。そういえば、魔法瓶に入った濃いめの紅茶、が描写されていたのだと、映画を見始めてから思い出した。

水筒から飲む紅茶、に独特の懐かしさを覚える。ポットで淹れて、口の広いティーカップから飲む紅茶よりも、明らかに風味が劣っているはずなのだが……。受験勉強をしていた子供の頃、母親が作ってくれた記憶だ。持っていた水筒の姿形も思い出せる(そして、実家にまだ現物が眠っているような気もする)。


 

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