やまびこ観測所

世の中で起こっていることを観測して記事にしていきます。

花粉症への布陣 2021

今週のお題「花粉」

 

※開示すべきCOIはありません

※個人の感想です

 

年々進化する薬たち。

今年の布陣を記録しておく。

  • 飲み薬:ビラノア
  • 点眼薬:アレジオン0.1%
  • 点鼻薬:エリザス

 

  • 飲み薬:ビラノア

 アレジオンやアレグラ、クラリチンを経てのビラノア。一日一回、眠くならない、口渇を感じにくい。

 眠くならない、はクラリチンでも体感していた気がするが、口渇を感じにくいのはビラノアの方な気がする。あくまで感じだが。

 ちょっと不便な点は、食後に飲めないこと。薬の吸収率が大幅に下がってしまうらしく、食事から2時間空けて内服することが推奨されている。これが中々難しい。一番良さそうなのが夕食から2時間後と思われるのだが、食べるのが遅くなった日など、寝る前ギリギリに飲もうとして、うっかり忘れて眠ってしまうことがあった。最近は習慣付いてきたのでちゃんと飲めているが、これはちょっとした注意点。

 

  • 点眼薬:アレジオン0.1%

昔はクモロール、パタノールだったか。直近では同じくアレジオンの0.05%だった。病院を変えたタイミングで、いつのまにか濃度が変わっていた。2倍濃度の分か、一日二回(前のは一日四回)。

中々の即効性を感じる。日によって花粉の飛散量が異なるせいか、朝点眼したあとに再びかゆくなるまでの時間が異なる。早いと午後にはもっかい点そうかなぁという気になるが、雨の日なんかは夜まで追加せずに済んだり。

晴れて外出した日など、禁断の三回目を点したくなったり、朝の一回で十分な気もしてきたりすることがあるが、結構真面目に一日二回を励行している。皮膚の痒み止めで、多少ましになっても、治り切るまでは毎日ちゃんと塗る方がいい理論を適用してみている。

 ネックは味。飲むなよって話じゃなく、点眼後に目から鼻、喉に抜ける分が多少あって、これがえらく苦いのだ。なるべく流れずに目に止まるように、点した後は目が鼻や喉より下になるように俯いてみたりするのだが、あまり効を奏さなかった。味のある飲み物や食べ物で流し去ったりするのが、経験上有効と思う。

 

 

とっても頼りにしている薬。点鼻だけど液体じゃなくて粉末なので、刺激はマイルドだし、垂れてきたりしない。一日一回をうっかり忘れると、くしゃみやムズムズ、充血の膨満感?がひどいので、効果がかなりあるのだと思っている。

程度によるのだろうが、飲み薬で体全体の反応を抑えるのはもちろんだけど、各粘膜をケアしてあげるのが、アレルギー対策で重要なのかなぁと、素人ながら認識している。

 

この布陣が今のところバランスがとれていて最強。飛散してない時期に比べれば多少不調だが、なんとか社会生活を送れている。おくすり様様である。

そして願うのは、日本の保険診療が破綻しないでいてくれること……。

 

怒りの本質を考える

最近いらいらすることが多くて困っている。

まっとうな大人なら、感情を態度にあらわしすぎるのはちょっとみっともないな、という思いはあるのだけど、思いと行動が裏腹になってしまいがち。

アンガーマネジメント系の記事がタイムラインに流れてくると、ついつい見てしまうがあまり実践できずに終わってしまうので、自分なりに読み取って考えた内容を書いておくことにする。

 

怒りの本質はつきつめれば恐怖なのだと思う。

たとえば。

・車を運転していて、自転車が急に飛び出してきた*1とき

 「うわ!」(驚き、急ブレーキ)「危ないじゃないか!」(怒り)

 自動車を運転することには責任が伴うし、予測しながら気を配っているので、常に怒りが爆発するわけではない。しかし、心のベースラインが安定していないときにこういうことに遭遇すると、血圧がブワッと上がるのを体感する。

 しかし、これってつきつめれば恐怖でしかない。万一、停止が間に合わずに自転車に接触してしまったら。人をはねてしまったら。免許更新の時に見せられる映像が頭に浮かぶ。

 自分の中に生まれてしまった恐怖に、人は耐えられないのではないかと思う。だから、その原因となった「人」に対する感情に置き換わってしまうのではないだろうか。

 「危ないじゃないか!どこに目をつけてるんだ!」

 ・コミュニティ*2内で遭遇する、ルールや自分の思う常識、「こうあってほしい」想定と異なる行動。

それらも、つきつめれば恐怖なのではないか。道理の通じない相手、自分の意図と反する行動、予測不能の現象。少し大げさになるが、自分が作ってきた枠*3に嵌まらないことに遭遇するということは、自分の世界観に疑念を抱くことになる。自分の世界観に疑いを持つことは、自分の実存、生命を脅かされることに近似できる。

 

何で何で何で。怖い怖い怖い。それが「怒り」なのではないか。

怒りは人の体をこわばらせ、脳が普段通りに作動することを妨げる。

 

では、どうとらえ直すのか。

自分がくまのプーさんにでもなったように振る舞うのが良いような気がしてきた。

・車を運転していて、自転車が急に飛び出してきたとき

→おっとっと、びっくりしちゃったなぁ。

(相手の行動が危ないとか、ジャッジしない)

 

・想定外の行動について。

相手に期待しない、相手をコントロールしようとしない、ということをよく耳にする。

それができれば苦労しないって、というのが感想である。相手をコントロールしようとしない、ということができない自分に更に苛立ってしまい、【反応が反応をさらに促進する怒りの永久機関】になりかけるのが現実である。マンガに書いたら、鼻の先に「憤怒ー!」という文字が入ることだろう。

もう、自分をコントロールするのも大概にしておこう。代わりに、自分は「苛立っている・怒っている」のではなく、「怯えている・不安を抱いている・恐れている」と思っておけばいい。相手を打ち負かしたい、コントロールしたいと思ってしまうのは、自分の身の安全(=平穏な心でいること、想定通りに物事がすすむ状況)を望むからではないだろうか。

「私は怒っているのではなく、不安を覚えているのでこの状況を変えたい」 そう思ってみたら、アサーションの本に書かれているようなしなやかさで、自分の思いを落ち着いて伝えることができるようになるのではないだろうか。

 

怒りの本質は恐怖である。

私も彼らも、怯えたキツネリスでしかない。

恐怖への対処法は何か。恐怖の全貌、恐怖をもたらすものをきちんと見て把握し、「それが怖くないものだ」と認識することだ。

「怒りを覚えたら6秒待ってみる」 それは、自分と対象を冷静にとらえなおすための時間。

*1:

それにしても、自転車って本当にリスクの高い乗り物だと思う。スポーツバイクとかだとかなりのスピードが出るけど、乗っているのは生身の人間。手信号をする人はまれなので、いまいち公道が読めない。よく見ると、曲がるときには体重移動をしたりするので予測がつかないこともないのだが。

先日遭遇した自転車。自分は信号のある交差点の少し前で、左ウィンカーを出して減速しつつ、少し左に寄せて走行していた。交差点に到達する前で信号が青に変わり、前に停止していた車が発進。自分はさらに減速しながら、いよいよ左折しようとするところ。段差のある歩道とのわずかな隙間を、ロードバイクがびゅーんとすり抜けていったのだった。一度追い抜いたので存在はもともと認識していて、「すり抜けるなよ〜」と念じながらサイドミラーを注視していたから何事もなく済んだけれど……。

冒頭では怒りについての話をしていたが、このときはあまりのことに驚きしかなかった。驚きを通り越して、ロードバイクの主に畏怖の念すら覚えていた。だって、前の車が左折しかけているのに直進で突っ込んでくるんですよ……。神風特攻隊かよと。いや、当たり屋だったのか???などと自分の常識ではとらえきれない現象を解釈しようと、脳が混乱していた。いったん停止したら元のスピードに戻すラグがあるのかもしれないけどさー、軽車両の認識を持とうよ。

こんなにつらつら書くなんて、この出来事をそうとう根に持っているのだなと今改めて思った。笑

自分はあまり自転車に乗らないので、ちょっと目線が偏っているかもしれないけれど。何も知らない子供じゃないし、速度の出る乗り物に乗っているのだから交通法規は守って、周りを見てほしいものだと思った。確かに、自転車側に事故の原因があっても、おそらくクルマの運転者が相当の弁償をすることになるのだろうけど、弁償できるのはお金だけなんだからね。。。死んだら生き返らないし、怪我で済んでも後遺症がずっと続くかもしれない。

ということを、遭遇した人には言えなかったのでここに書いておく。怒りの解消法、他人に話すもそうだけど、書いて吐き出すってのはセオリーですね。

*2:職場、家庭、学校、部活等々

*3:人間は効率的に物事を処理するために、判断の枠を持っている。車が左にウィンカーを出せば左に曲がると思う。酸っぱい牛乳を飲んだらおなかを下す可能性が高いので飲まない方が良い。大阪人はだいたい家にたこ焼き器を持っている……等等。枠がまったくなければ、すべての可能性を均等に想定しなければならず不便だが、枠にとらわれすぎれば、低い方の可能性が現実になったときに対応がしづらくなる

「ロシャオヘイ戦記」の感想

面白いらしいぞ、という噂を耳にしたので、「ロシャオヘイ戦記」を観に行ってきた。

アニメ映画って面白いのだねぇ……!1時間50分、大変愉快な時間を過ごせた。

 

平たく言えば、もふもふ動物好き、ジブリ好き、妖怪好き、バトル好きのいずれかの属性がある方は見たほうが良いと思う!

 

前情報もあまり仕入れず、まだレビューや解説記事も見ていないので、世界観の理解がちょっと乏しいかも。

人間と「妖精」という種族が存在する世界。「妖精」と表現されてるけど、フェアリーもゴブリンも、「もふもふ」もいる。妖精ってか妖怪かな?とも思うけど、要は「人ならざるもの」と「ヒト」の物語というところ。

(人間に分類されても、異様に強いヒトは「人ならざるもの」に近いかな)

 

この映画を見て、ジブリ作品に言及しないのは困難だと思う。

ベースは「もののけ姫」や「ぽんぽこ」「トトロ」、都市を侵蝕する植物のイメージなんかは「ラピュタ」、水の上の描写などは「千と千尋」を思い出させる。

もののけ姫のコダマや、トトロのネコバスみたいな雰囲気のやつもいたような。

あくまで、上記作品を観た経験があるから想起してしまうわけで、「ロシャオヘイ」は「ロシャオヘイ」の話とも思う。

 

チャイナブランドのアニメをちゃんと観るのは初めてだったと思う。

勝手に上から目線になりそうで注意なのだが、中国アニメおもしろい。

森の中や海の上、都市の様子の描き方がそれぞれ印象的だった。

自然のイメージのアニメーションは特に美しかったなぁ。朝ドラ「なつぞら」で、アニメではアニメにしか表現できないことをやるんだ、みたいな話があったと思うのだけど、それを思い出した。

絵が動くのがおもしろいって原点。

 

そして戦闘シーン。

路地裏や山の中、そして街中へ。

ハリウッド映画のカメラワークなんかも研究したりしてるんだろうか、すごくワクワクドキドキする場面ばかりだった。

 

ちょいちょい挟み込まれるギャグ。

狙いすぎでは?と思いつつ、劇場内では都度くすくす笑いが。

もちろん、大人にも笑えるシーンだけど、子供が見ていてもこれなら飽きないかな?と思ったり。

ちなみに、戦闘シーンは血みどろになる感じではないので、ハラハラはするけど、その辺では安心です。

 

主役級はもちろん、サブキャラたちもとても個性的だった。映画の尺では足りない気分。続編とかあればぜひ追いたいところ。

 

ラスト近く、詳細はうろ覚えですが、「間違ってるとわかっても、もうこのまま進むしかないんだ」というセリフが印象的。

わかるよ〜、その気持ち。でもさぁ……

 

さて、これから感想記事を読み漁ってみようと思います。

 

レコルト コーン式全自動コーヒーメーカー RCD-1を買ったこと

買わない理由は見当たらない。

 

先月末に新発売されたコーヒーメーカーが手元に届いた。

製品はこちら。

https://recolte-jp.com/products/grind-brew-coffee-maker/

 

ミル付きのコーヒーメーカー。

豆と水をセットすれば、好きな時間に挽き立ての豆で、淹れ立てのコーヒーが飲めるという文明の利器!

今の自分にはぴったりなものが買えたと思うが、少し気になる点も。

実際に使ってみた感想と、選んだ経緯について書いておく。

 

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購入の決め手は以下。

  • ミル付き、タイマー付き
  • ペーパードリップ
  • 見た目がかっこいい&さほど嵩張らない
  • メンテナンス(洗浄)モード付き
  • レシピの調整ができる
  • 価格(上記性能を備えつつ、リーズナブル)

 

[開梱〜設置]

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外箱はこんな感じ。デザイン家電といわれるメーカーらしく、開ける前からテンションが上がってくる。

 

相手次第だけど、プレゼントにしてもよいなと思った。

 

電源コードは本体の後ろに出すようになっている。

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メーカーのWEBサイトには、B5サイズの設置面積とあるが、ドリップの際に水蒸気が横に出るので、A4くらいはみておいたほうがよいだろう。

高さは約35 cm。sirocaのカフェばこは約27 cmなので、それよりは大きいが、象印パナソニックツインバードの全自動式とはだいたい同じくらいのようだ。

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メニュー画面には青色のランプ。角張っていて、無機質な雰囲気には合っているかな。

あまり高い場所にセットすると、角度の問題で、ランプの位置がメニューとちょっとずれて見えるのが気になる。。

象印とかパナソニックのみたいに、「スタート」とか「保温」とか書かれた大きなボタンがないのが気に入っている。

(なんでカタカナとか漢字で書いてあると、ダサく思えてしまうのだろう……?)

電源を入れて、まずはコーヒーなしの水のみセットで2回空運転(取説には1〜2回と)。

プラスティックのにおいが、もわんとする。

2回目終わったところでも、まだなくなりはしなかったが、まぁコーヒーを淹れれば気にならなくなるだろう、と2回に留める。

結果、淹れたコーヒーではプラスティック臭は感じられず、一安心。

 

[準備]

規定の量までタンクに水を入れ、コーヒー豆を上部から投入。

抽出量を設定。この量によって蒸らし時間を調整してくれるようだ。

(水量も自動でやってくれるといいけど、たぶんタンクに入れた全量を使うと思われる)

挽き目はひとまず中くらい、濃度も中くらいに。

濃度は、豆量を+20%〜-20%まで5段階で調整できるとのこと。

電源ボタンが一番左にあって、そこから右に進んで、一番右の再生マーク(△)のボタンでスタートなので、特に迷わずセットできる。

 

[ミル挽き〜ドリップ]

スタートボタンを押した後、しばしの間の後に轟音!

こ、これが電動ミルなのか……とびっくりしたが、一瞬でミル挽きは終了。

集合住宅だと、少し気になる音かもしれないが、かなり短時間。

その後、ドリップが始まり、電子音が鳴って抽出終了の合図。

保温はありなしが選べ、保温ありでも20分後には切れるので安心設計。

煮え切ったコーヒーは不味いので、保温はいっそなくてもいいくらいの気がするが、サーバーはガラス製で保温機能ほぼゼロなので、ありがたい仕様。

ガラスはそこまで分厚くない感じ。注ぎ口のキレは良好で、液だれの心配はなさそう。

 

いざ試飲。おお〜、普通に美味しいコーヒーだ。

近所の喫茶店(わりと良いお店)で買ってきたばかりの豆を挽いて淹れているのだから当然かな、と思いつつ。

 

ふと思ったのが、炊飯器を替えるとごはんの味が全然変わるよ〜!という話。

コーヒーメーカーはそういう感動体験にまでは至らなそう。

でも、喫茶店の味を、手間なく、再現性よく、自宅で楽しめるってのはじわじわ効いてくる幸せだろうなぁと思った。

手間をかけようと思えばハンドドリップで、豆に合わせて、お湯の温度とか、抽出スピードとか、いくらでもこだわって淹れられる。

一方、RCD-1はそのあたりは一律の条件。

ただ、豆の挽き目とか量とかは調整できるので、多少は変化をつけられるみたい。

自分のように、ほどほどにラクして、美味しいコーヒーを自宅で飲みたいという人間にはぴったりだと思った。

あと、かっこいい機械を所有したい欲も十分に満たせる。

 

さて、だいたいは満足しているのだが、使ってみて気になった点を挙げておく。

  • ガラスポットのフタが外せない

   持ち手と、フタが一体になっていて洗いにくい……!

   フタにストロー状のパーツがついていて、ドリップしたコーヒーが上層でなく底に届いて対流するようになってくれているのだが、このフタと持ち手、ガラスのサーバーが分解できないようになっている。

   まぁコーヒーしかいれない容器なのだが、毎日使っているとどんな感じになってくるか気になるところ。WEBサイトの、「使用後のお手入れ」の写真をよく見ると、たしかに、フタが付いたまま伏せておいてある。それ乾かなくね???という思いが。。。

 

  • 豆の挽きムラがある?

   コーン式のミル、ということでいわゆるプロペラ式よりは均一に挽けるかも……と思っていたが、抽出後のフィルターを見てみると、案外粒度に差が見える。

   挽きムラによる味の差を感じられるか?というと微妙なのだが、挽き目の均一さにこだわる人は気になる点かもしれない。

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あとは、メンテナンス性とかはもう少し使ってみてからわかってくる点かと思う。

 

自分はこれまで、「コーヒーは基本お店派」で、家では1杯取りのドリップバッグをたまに飲むくらいだった。

これから、手軽にコーヒーを楽しむ生活が送れることが楽しみでならない。

 

コロナ禍なのかコロナ下なのか、この中なのか

変動する環境にいちはやく適応してゆける能力を持っていることが、「優れている」面があるといえる。

どうやって適応するのか。

「新しい概念」を提示し、共有することによって。

どうやって提示し、共有するのか。

「概念を示すことば」を創造することによって。

 

新造されたことば、あるいは新しい語義を付与されたことばによって、これまでなかったことを示せるようになる。

たとえば、病気の名前を付けるように。

これまで名前のなかった症状、患者の集団に名付けをし、一括りに捉えられれば、疾患の理解も進むことだろう。

 

COVID-19と名付けられた感染症と、それに伴う数多の変化。

これまでなかった言葉、なかった習慣が新しく生まれ育ってきている。

 

「コロナ禍」

新型コロナウイルス感染拡大による影響”

あるいは“新型コロナウイルス パンデミック

 

この言葉の耳慣れなさがずっと気になっていた。

コロナ禍なのか、コロナ下なのか、この中なのか。

どうやら、ペストやコレラなど、過去に人類に甚大な影響を及ぼした感染症について、ペスト禍、コレラ禍、などという言葉があったらしい。

これに当てはめて、コロナ禍。

 

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少し、翻訳記事をさらってみた。

 

1) ロイターの記事。

「独、今年の成長率予想を上方修正 コロナ禍想定ほど深刻化せず」

https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-germany-economy-idJPKBN25S5AL

[ベルリン 1日 ロイター] - ドイツ政府は1日、新型コロナウイルス感染拡大による影響は当初懸念されていたほど深刻化しないとの見方を示し、2020年のドイツ経済の成長率見通しを上方修正した。ただ、21年については下方修正した。

 

 

元記事はこちら。

'Germany sees economy recovering faster than expected in 2020'

https://www.reuters.com/article/us-health-coronavirus-germany-economy/germany-sees-economy-recovering-faster-than-expected-in-2020-idUSKBN25S4AY

BERLIN (Reuters) - Germany expects the economic devastation caused by the COVID-19 pandemic to be less severe this year than originally feared, but sluggish foreign demand is likely to weaken the rebound in Europe’s largest economy next year.

 

2) ニューズウィークの記事。

「コロナ禍なのにではなく、コロナ禍だからBlack Lives Matter運動は広がった」

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/07/black-lives-matter_1.php

 

元記事はこちら。

"How the pandemic changed social media and George Floyd’s death created a collective conscience"

https://theconversation.com/how-the-pandemic-changed-social-media-and-george-floyds-death-created-a-collective-conscience-140104

 

 

n=2なのであくまで印象、推測になるが、ヘッドラインでは「文字数が少ない」「目を引かせる」ために「コロナ禍」という単語を使用していて、記事本文ではパンデミック=感染拡大、あるいはその影響、というような内容に書き下しているように思えた。

「コロナ禍」という文字は、「呪われた世界にある」ことを私たちに意識させているように思えてならない。

 

禍、という言葉は文字通りに禍々しい。

そして、神の部首がついており、人間にはどうしようもない、”天災”という感覚。

「咼」には、けずられ、ゆがむこと、あるいは渦、あな、の意があるらしい。

仲間の漢字には、蝸、渦、窩、など。

 

なんとなく、「禍い=disaster」かと思っていたが、“COVID-19 disaster”というより、”コロナ禍”のほうがそれらしい。

検索してみると、

“COVID-19 disaster” 約 1,800,000 件

”コロナ禍”      約 90,200,000 件

ほらね。

 

と、ここまで禍、禍、と漢字にこだわってきたが、「コロナ禍」が気になるのは、やはり音の問題なのだろう。

ニュースの中で、その前に文章があって、「コロナ禍で〜」と言われると、「この中で」と頭の中で変換されてしまう。

上に、翻訳記事について書いたが、「コロナ禍」は音ではなく文字向きのことばであると思った。「か」で「禍」に変換できるほど、不幸な生活は送っていないのだ。

「禍福はあざなえる縄のごとし」とか、定型フレーズじゃないと、なかなか難しい。

 

最近使われ出した言葉を、耳で聞いて、漢字変換できないというだけの感想を長々と綴ってしまった。

考えすぎると陰謀論めくが、新しく使われ出した言葉というのは時代をあらわす便利な言葉だけど、その言葉の持つ印象に時代や、人の心が引きずられる部分があると思う。

 

アーケードの天井

渦っぽい写真

 

ついでに調べて、関連は低いのだけど気になったこと。

黄禍論の黄禍は、yellow 'peril' 

岡倉天心が反論に使った「白禍」はwhite disaster.

perilの「差し迫った危機」的な意味でなく、「災厄」っぽさを論じようとしているのか。

言語はどこまでも興味深いな。

これくらい言ってもタコ殴りはされないだろう、と思える相手に対して、人は反抗的な態度をとってしまう

甘えてんだよ。

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仕事仲間には、多少ムカつくことがあっても、「大人の対応」をとれるのに、
友人や身内、家族に対してついついキツく当たってしまいがち だとか。
仕事でも、長年一緒にやってきた上司に対してはついつい、反抗的な態度をとってしまうときがある とか。
これくらいなら、ハラスメントとして通報されたりしないだろう とか。

 

「親しき仲にも礼儀あり」という言葉を、常に覚えているのは難しい。

自分も反省がたくさんあるし、他人から失礼なことをされて、気分を害することもままある。

礼儀をちゃんと守るにはどうしたらいいか、失礼をされて、心を乱しすぎないためにはどうしたらいいのか?不機嫌に不機嫌で応えずにすむにはどうしたらいいのか。

 

親しいかどうか、というのは、仲が良いか悪いか、ではなく「知っているかどうか」。接触頻度や回数、「この人はこういう人だな」というのが身になじんでいるかどうか、だろう。

「親しくない人」あるいは、「よく知らない人」は、平たく言えば「切れポイントが未知数」なのだと思う。

ちょっと極端な喩えだし、そもそも人としてまともな範囲、常識的な接し方の最低限のラインってのはあるとも思うのだけれど。

 

反抗的な態度をとる、とか、不機嫌を前面に出す、とか、ふてくされるとか。

要は、私は気分を害している、不快な空気を改善したければ、私の望むように物事を整えなさい、というアピールなんだろう。

不機嫌で他人をコントロールしようとするのは幼稚なやり方だ、という指摘を以前目にして、納得しつつ、この上なく反省した。

あるいは、相手が不機嫌になっているとき、ある程度気持ちを尊重してあげたいと思うような相手であれば、多少の譲歩はありうる。

譲れる部分は多少はあるのだろう。

「幼稚な態度をとって相手を支配しようとするな、滅びろ!」とすぐさま思うことなど、ほとんどないだろう。

釈然としない思いを抱きつつ、ひとまずは「まぁまぁ」となだめる、というのが、だいたいの場合の第一の対処だと思う(日本人の場合?)。

 

甘えと表現すべきか、信頼と表現すべきかはどちらでもいいのかもしれない。

信頼している、「安全な場所」であると思ったときに、そんなことが起こりがちな気がする。

目の前で向き合っている人が、不機嫌を前面に出していたら。

「あぁ、この人は、これくらい言っても、私が怒髪天を衝いて、自分をタコ殴りにするとは思っていないんだろうな」と想像してみる。

ついでに、相手に馬乗りになってぼこぼこに殴っている様子を想像してみる。

リアルな暴力を思い描いて溜飲を下げるのではなく、マンガ的な絵を思って、下らないな、とちょっと笑うような。

 

どちらかに過度なストレスをかけるような関係性は持続しにくいので、要はバランスのとりかたなのだろうが。人の気分は多少の変動はあるので、何があってもいつもゴキゲン、ではいられない。

それでも、人間の喜びは、自分ではない他人と信頼関係を築いて活動できることにあると思う。

自分と血縁のある人間や、パートナーとも。

仕事場という、限定された役割分担のある場所であっても。

 

不機嫌な人になりたくないし、不機嫌な人にでも少しは寄り添える優しさも持っていたい。
自分の態度は、大人げなかったな、と反省した金曜の夜に。

COOLPIX S600の思い出

物へのこだわりが強いたちなのだと思う。
気に入るものが見つからないなら、不便でも持たない、とか。
いったん気に入ったら、もっと機能的に優秀なものがあっても切り替えないとか。

(もちろん、適当に選んで買って、そんなに気に入っているわけじゃないけど
 何だかずいぶん長いこと、身近にあるなぁと思う物もあるのだけれど)

そんな、過去の愛用品。

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Nikon COOLPIX S600

https://www.nikon-image.com/products/compact/lineup/s600/

カラーは「アーバンブラック」。

車や携帯電話のように、気取った名前の設定だと思った覚えがある。

真っ黒、というわけでなく、チャコールがかっていて、硬質すぎない雰囲気がある。

他にあったのは、チタンシルバー、ピンクゴールド。

今見ても、どの色もヘアライン加工の外観が魅力的。

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残念ながら、故障してしまって、部品もないので修理ができないとのこと。
修理不能と言われて、使えない状態となっても、なんだか捨てるのが忍びなかった。
それくらい、この外観とか手触りを気に入っていたのだ。

当時としては、①コンパクト②起動が速い③接写ができる の3点ですごく優秀だった。
動画もそこそこ撮った。専用機には及ばないのだろうが、当時のガラケーよりは全然良くて。
大学のフィールド実習など、普段は中々できない経験をしたが、撮れるときはいつもこのS600で記録していた。

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2008年6月購入、おシャカになったのが、2015年の5月頃。
丸7年使い倒したのだから、元を取って余りある。

部屋を片付けるたびに、手放すべきだと思いつつ、手放せていない。

写真を撮って、いかに気に入っていたかを書けば、気持ちが昇華するかとも思ったが……。

改めて触ってみると、手の中に入る感じとか、カラーリングが秀逸だとか思えて、捨てられない気持ちになってしまった。どうしよう。

 

 

「未知なるもの」との向き合い方

「VUCA」*1という言葉が怖かった。
今の時代だから、先が見えなくて、何にすがればいいのか解らないのだと。
不運な時代に生を享けてしまったものだと思うことがあった。
自分が生まれる前よりも、現代の方が「先が見えない」社会になっているのだと感じていた。*2

今振り返れば、そう思っていたのだが。
これまで経験したこともないような世界のなかで、「新しい日常」を生き始めている。
異例の事態、というフレーズが耳になじんできたのはいつごろからだっただろうか。

緊急の状況で、脳が自分を守る方向に動作してきたのか、「VUCA」を受け容れていく気持ちになってきたような気がしている。
整理しきれてないが、渦中のひとりの記録として書き留めておく。

 

○類型化
→ウイルスによる感染症エンベロープを持つからアルコールや界面活性剤が対処に有効、とか。
 ・知識と照らし合わせる。

 ・既に知られているものから、推測する。

 

○確からしい情報を集める
→確からしい情報、を何をもってそれと判断するのかは、改めて少し難しいと思った。
 公的な研究機関、専門家、政府からの案内。
 マスメディアが発信したり転送したりする情報。
 私的なWEBサイト。資格を持つ、と標榜する人のSNSの発信。
 実際に存在する医師の名前で、知り合いから送られてくるメッセージ。
 (後に、所属機関や本人からそんな事実はない、と発表されたりする)
 
○情報を取捨選択する、読み解く(懐疑的に見る)
 極論すれば、数字の正確さと、データとして正しいか?は別なのだろう。
 感染症は、個体の中での事象と同時に、集団の中での事象としての意味も大きいと思う。
 「PCR検査陽性者は○○人です」という報告から、推測できること、妄想してしまうことはいろいろあるだろうが、裏付けがとれる事実は限られてしまう。
 確かな情報であっても、その情報が示す事実は限定的であることが多い。

 

○扱いきれないことをやりすごす
 情報は限定的だし、仮説は立てられても自分で実証できないことばかりだ。
 我が家にオートクレーブはない。笑

 家でホットケーキを焼いて楽しむ、というのは、冒頭に書いた「向き合い方」ではないが、新しい日常に必要な「やり過ごし方」だろう。
 

○走りながら考える
 「絶対これが正解だ!」とはわからない状態で手を打っていかなければならない。
 状況がゆっくり進んでいくわけでなし。
 100%の正しさを待つのでなく、60%確からしい情報と30%確からしい情報があれば、前者を選択していくこととか。
 あるいは、可能性は低くても、後者の方が確かだった場合のリスクが甚大であれば後者を選択するとか。
 政治家でも、社長でもない自分だが、案外、いろいろ考えさせられているような気がする。
 (だから、COVID-19がないときよりは疲弊して当然である、とは思う)

 


「群盲 象を撫づ」という諺がある。
巨大な象のあちこちの部位を、目が見えない人が触って、色々ばらばらなことを言うという例え。
個々の発言は事実だけど、全体は一体……?ということだと思う。
見えない人をあざ笑っているような言葉とも思えなくないが、本義はそうではないと思う。

見えないことをわきまえて、最善を尽くすこと。
よりよい理解を求めていくことで、「未知なるもの」の正体が、適切な対処方法も含めて明かされていくのだろうと思う。



 

*1:Volatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)
ビジネスパーソンは、生き残ったり、勝ち抜いたり、立ち向かったり、乗り越えたりすることが求められるらしい。

*2:変化が速いのは、やはり現代の特性だろうとは思うけれど

ぐずぐずしている人間に気分なんかわきゃしません

半透明のゲルの中で生きているような感覚に、また囚われてしまいかけている。

自分自身に起こる出来事、自分の考え方、世界の雰囲気。

シャキシャキ行動出来ていた自分への憧憬、活動が鈍っている自分へのふがいなさ……。

 

などなどで、すっかりこの場から遠ざかっていた。

ふと思い出された言葉がタイトル。

気分がどうのこうのと言って、なんになりますか。

ぐずぐずしている人間に気分なんかわきゃしません。

…………

きょうできないようなら、あすもだめです。

一日だって、むだに過ごしてはいけません

 

ゲーテゲーテ格言集』(高橋健二 編訳)新潮社

ファウスト」の中のフレーズらしいが、まだ大もとは読んでいない。

 

ほんとそれ、という実感。

ほんとうに動けないときは休むしかないのだが、少しでも動けるようならば、「少し」やってみる、のがその先につながる。

そういえば、子供の頃の宿題も、とりあえず問題集を机に置く、ページを開いてみる、といった一つ一つの動作をちょっとやってみることで、エンジンが掛かってくるものだった。

 

やることを詰め込んで思考を埋めて、余計なことを考えないようにするというのも考え物だけど、頭や予定を空っぽにすると、これまた、ろくな考えにならないし、何も出来なくなってくる(すごくネガティブになる)ことに気付いた。

 

人間は想像力のある生き物という。

動物によって知能の程度は違うだろうが、時間の感覚があって、予定を立てられたり、過去を振り返れたりするのは人間の特権に近いのだろうと思う。

小さな予定を立てて、それを実行していくこと。

とりあえず、何かやってみること。

その積み重ねで、この半透明のゲルも分解されていくのかなぁと、ぼんやり思っている。

 

ゲーテ先生の言葉をもう一つ。

半時間ぐらいでは何もできないと考えているより、世の中の一ばんつまらぬことでもする方がまさっている。(「格言と反省」から)

 

手に心地よい てぬぐいのある暮らし

「てぬぐい」で手を拭うことにした。
以下の意味で、とても快適。なぜ、もっと早く試していなかったのかという気分になっている。
・乾きやすい
・かさばらない
・毛羽立たない
・手触りが心地よい

具体的には、以下の場面で使っている。
・ 外出時の持ち歩き
・ 台所:食器拭き/手拭き兼 台拭き
・ 洗面所

置き換え元は、その場所用と決めた小さめのタオルを使っていたところ。
無精をして、洗濯の頻度が減ると においが気になったり、
新品に交換する時機がつかめずにいたり、という状況だった。
(ついてしまったにおいは、漂白剤に漬けおいたり、煮洗いをしたりすれば、すっきりするが)

手ぬぐいは半裁にして使っている。
縁に切り込みを入れて、手で裂く。
裂いた方が、じょきじょきと、幅いっぱいにハサミをいれてしまうより、ほつれにくい気がする。
それでも糸は多少出るが、引きちぎるか、切りそろえれば大丈夫。
(使う前には予洗いしましょう)

身近に、ハンドタオルではなく手ぬぐいを普段づかいしている方がいたので、まねをしてみたら、
その心地よさに、すっかりやみつきになってしまった。
ふかふかのタオルの感覚も悪くないが、スーッと水気を吸い取ってくれる綿の織り地の頼もしさ。
乾燥して手が荒れる時期なので、タオルループの細かな糸にささくれが引っかかることもない。

ちょっとした手土産にいただいて、活用できずに眠っていた手ぬぐい達。
そのままだと長すぎて取り回しが不便、と思っていたが、切ればよいのだと知った。
(大きい絵柄で、一枚で完結するような作りの品は半裁にしづらいが……)

出典を控えそびれたが、最近見かけたTweet
「清潔なタオルを使える生活が、丁寧な暮らし」
という趣旨のものがあった。これは本当にそうだなと思う。
身の丈の範囲で、居心地良く暮らすのは幸せだな〜、と思う小市民である。