やまびこ観測所

世の中で起こっていることを観測して記事にしていきます。

これくらい言ってもタコ殴りはされないだろう、と思える相手に対して、人は反抗的な態度をとってしまう

甘えてんだよ。

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仕事仲間には、多少ムカつくことがあっても、「大人の対応」をとれるのに、
友人や身内、家族に対してついついキツく当たってしまいがち だとか。
仕事でも、長年一緒にやってきた上司に対してはついつい、反抗的な態度をとってしまうときがある とか。
これくらいなら、ハラスメントとして通報されたりしないだろう とか。

 

「親しき仲にも礼儀あり」という言葉を、常に覚えているのは難しい。

自分も反省がたくさんあるし、他人から失礼なことをされて、気分を害することもままある。

礼儀をちゃんと守るにはどうしたらいいか、失礼をされて、心を乱しすぎないためにはどうしたらいいのか?不機嫌に不機嫌で応えずにすむにはどうしたらいいのか。

 

親しいかどうか、というのは、仲が良いか悪いか、ではなく「知っているかどうか」。接触頻度や回数、「この人はこういう人だな」というのが身になじんでいるかどうか、だろう。

「親しくない人」あるいは、「よく知らない人」は、平たく言えば「切れポイントが未知数」なのだと思う。

ちょっと極端な喩えだし、そもそも人としてまともな範囲、常識的な接し方の最低限のラインってのはあるとも思うのだけれど。

 

反抗的な態度をとる、とか、不機嫌を前面に出す、とか、ふてくされるとか。

要は、私は気分を害している、不快な空気を改善したければ、私の望むように物事を整えなさい、というアピールなんだろう。

不機嫌で他人をコントロールしようとするのは幼稚なやり方だ、という指摘を以前目にして、納得しつつ、この上なく反省した。

あるいは、相手が不機嫌になっているとき、ある程度気持ちを尊重してあげたいと思うような相手であれば、多少の譲歩はありうる。

譲れる部分は多少はあるのだろう。

「幼稚な態度をとって相手を支配しようとするな、滅びろ!」とすぐさま思うことなど、ほとんどないだろう。

釈然としない思いを抱きつつ、ひとまずは「まぁまぁ」となだめる、というのが、だいたいの場合の第一の対処だと思う(日本人の場合?)。

 

甘えと表現すべきか、信頼と表現すべきかはどちらでもいいのかもしれない。

信頼している、「安全な場所」であると思ったときに、そんなことが起こりがちな気がする。

目の前で向き合っている人が、不機嫌を前面に出していたら。

「あぁ、この人は、これくらい言っても、私が怒髪天を衝いて、自分をタコ殴りにするとは思っていないんだろうな」と想像してみる。

ついでに、相手に馬乗りになってぼこぼこに殴っている様子を想像してみる。

リアルな暴力を思い描いて溜飲を下げるのではなく、マンガ的な絵を思って、下らないな、とちょっと笑うような。

 

どちらかに過度なストレスをかけるような関係性は持続しにくいので、要はバランスのとりかたなのだろうが。人の気分は多少の変動はあるので、何があってもいつもゴキゲン、ではいられない。

それでも、人間の喜びは、自分ではない他人と信頼関係を築いて活動できることにあると思う。

自分と血縁のある人間や、パートナーとも。

仕事場という、限定された役割分担のある場所であっても。

 

不機嫌な人になりたくないし、不機嫌な人にでも少しは寄り添える優しさも持っていたい。
自分の態度は、大人げなかったな、と反省した金曜の夜に。